Vol.6 Emm|なぜ私たちは、自分の経血量を知らないのだろう?

2026年5月12日

生理の血が汚いものから、価値への転換。テクノロジーが織り出すもの(1)

— Emm|世界初のスマート月経カップが投げかける、静かな問い



1|小さな違和感

私がフェムテックに興味を持ち始めたきっかけのひとつは、2017年に韓国から登場した月経カップだった。

LooonCupという、その月経カップ。 カップ自体にセンサーが埋め込まれていて、漏れの有無や、体内の温度を測ることができる、という発想のプロダクトだった。

「そんなことが、できるのか」。 当時の私は、その「アイデアそのもの」に驚いた。

驚いた理由は、技術的なことよりも、もっと手前にあった。 月経の血を「測る対象」として扱う、という発想自体が、私にとって新しかったからだ。

月経は、長いあいだ、世界の多くの地域で「汚いもの」として扱われてきた。 日本にもかつて、生理中の女性を隔離する「生理小屋」と呼ばれる場所があった。 生理用品を捨てるゴミ箱は、今でも「汚物入れ」と呼ばれている。

「汚いもの」だから、見ないようにされる。 ゴミとして処理され、記録もされない。 誰も、その血を測ろうなんて考えなかった。

問題は、生理そのものではなく、その周りに何重にも巻かれてきた、文化的・社会的な先入観のほうだった。

2|構造の話

月経は、長く「私的な領域」に置かれてきた。
医療の側にも、本人の側にも、データはほとんど蓄積されてこなかった。
毎月の出血量。 何日続くか。 どんなときに変化するのか。

カレンダーに「生理初日」を印をつけるだけでは、本当は、たくさんのことが見えていない。

そしてこの「見えていなさ」は、しばしば「異常ではない」と判断される根拠にも使われてきた。 測られないものは、医療の議論にも、職場の制度設計にも、政策の話題にも、なかなか乗らない。

「不調はあるけれど、検査上は問題ありません」。

診察室で何度も繰り返されてきたこの言葉のあいだに、たくさんの人の体験が、静かにこぼれ落ちてきた。それは、誰かのせいではない。 データが「ない」ことを前提に組み立てられた構造のせいだ。


3|測ることの意味

公衆衛生という分野から見ると、何かを社会の課題として扱うためには、まず「ベースライン」が必要になる。

集団のなかで、何が「ふつう」とされる範囲なのか。 そこから、どれくらいズレたら「変化」と見るべきなのか。それを判断する基準が、これまでの月経にはなかった。 「個人の感覚」と「医学的な検査値」の、ちょうど真ん中にある領域が、ぽっかりと空いていた。

その空白を、日常の延長線上から少しずつ埋めようとしているのが、イギリス発の Emm だと思う。


世界で初めて、スマート月経カップの実用化に成功している。 医療グレードのシリコンでできていて、そのなかに小さなセンサーが組み込まれている。
カップを使う、というふだんの行為のなかで、データは静かに記録されていく。 1日の出血量。 そのカップが、どれくらいの早さで満たされるか。 周期の長さ。月ごとの変化。


特別な努力は、ほとんどいらない。 毎日アプリを開く必要も、自分の感覚を言葉に変換し続ける必要もない。 身体のすぐそばで測られたデータが、後から、自分のもとに返ってくる、という構造になっている。

もうひとつ、覚えておきたい設計のポイントがある。 データのやりとりが行われるのは、カップが体の外に出て、充電ケースに置かれているあいだだけ、ということ。 身体の内側にあるときは、外と通信をしない。

「測ること」と「プライバシー」の両立は、フェムテックがこれから何度も問われていくテーマになる。 Emmの設計は、その問いに対するひとつの答え方を、すでに示している。


4|だから私はこう考える

測ることは、自分をコントロールするための行為ではない、と私は思っている。

自分の身体を、もう少し細かい解像度で扱えるようになるためのもの。 不安を煽るためのデータではなく、判断の余白を増やすためのデータ。

「いつもより量が多い気がする」を、「いつもより◯mL多い」と言えるようになる。 それだけで、医師との会話の質も、自分自身との対話の質も、少しだけ変わる。

そしてもうひとつ大事なことは、「私のデータ」は、私ひとりのものでは終わらない、ということだ。

ひとりひとりの記録が積み上がっていけば、それはやがて、研究の根拠になり、制度の設計図になり、誰かの診察室での判断材料になる。 個人の身体の話と、社会の構造の話は、地続きにある。

Emmのようなプロダクトを日本に紹介するということは、私たちにとって、「商品を売る」という以上の意味を持っている。 この「地続きの一部」を、日本という文脈に置き直してみる、という作業に近い。

日本の医療制度。 働き方。 学校での性教育。 家庭での会話。

それぞれの場所で、「月経のデータがある」という前提が当たり前になったとき、何が変わるだろう。 社会実装の議論は、そこから始まると思っている。

「汚いもの」として扱われてきた経血が、ひとりひとりの健康を語るための「情報」へと、静かに姿を変えていく。 テクノロジーがいま織り出しはじめているのは、そういう転換だと、私は受け取っている。


5|静かな問い

測ることが当たり前になった先に、私たちは自分の身体と、どんな関係を結びなおすのだろう。
「異常ではない」と「健やかである」のあいだに、どれだけの段階を置けるようになるのだろう。

その答えは、まだ、ここにはない。


— Dr. Amina Sugimoto 公衆衛生博士(London School of Hygiene & Tropical Medicine)/fermata Inc. 創業者


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